思いを語る

どうにかなる気がする【ひきこもらない/ニートの歩き方/pha】

今は新幹線の中だ。あと1時間は自由に書くことができるだろう。だらだらと思考を書き連ねていきたい。

特に意味があるわけでも、なにか伝えなければならないことがあるわけでもない。

今までは価値ある記事というか、伝える内容のある記事を書いた方がいいのかな?と考えて不必要な記事は書かないようにしていた。

というよりは、端的に言えばグーグルアドセンス(収益化の為の広告)に通る為のいわゆるブロガー構文にの文章を必死こいて書いていたせいだと思う。

自分の中で記事を書くことに対してのハードルがは高まりすぎていた。ろくなものを書いてないくせに偉そうなことをいうなと思われるかもしれないが。ここ最近文章に恐怖感があった。

だらだらと文章を連ねていけば。モヤモヤした気持ちや恐怖感が少しは整理されるのではないかと思う。

生きる術

最近「えらいてんちょう」や「pha」、「プロ奢られヤー」の本や記事をよく読む。

いつもの自分ならここで彼らを知らない人の為にきっちりと注釈いれるのだろうが、今回はめんどくさいので書かない。気になる人は自分で調べてほしい。

彼らは必要なものを必要なだけ得て生きる術を見つけた人たちだ。

3人それぞれについて話を展開していくと収集が付かなくなるので。ここからはphaさんについて書いていく。

一応ざっくりとだけ説明を入れておくと彼は(元)日本一有名なニートだ。京都大学を卒業後一度は就職したものの辞めて、ふらふらと生きている。

今33歳の僕は、28歳のときに「インターネットさえあればニートでも楽しく生きられるんじゃないか?」と思い立って会社員を辞めて、それからはずっと定職に就かずにぶらぶらと暮らしている。働いていたときに貯めていた貯金は二年で尽きて、今はネット経由で得られる僅かな収入を頼りにして暮らしている。金銭的にはギリギリなんだけど、それでもネットがあればお金がなくても楽しいことはたくさんあって退屈はしないし、生活に必要なものは買わなくてもネットで結構もらえたりするし、ネットを通じて知り合った友達や知り合いもたくさんいるし、それなりに生活に満足している。これ以上他に人生でしたいこともそれほどないし、ずっとこんな暮らしが続けばいいなと思っている。

“ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法”(pha 著)

彼の文章に出会ったのは大学一年の時だった。

たまたま大学生協の書籍コーナーに立ち寄ったところ「ひきこもらない」と書かれたゴシック体の文字が目に入った。

ゴシック体にしては力強さが足りないようにも感じるが。

その本には「メンタルがやられたらサウナにいく。」や「都市に住めば、食事も風呂もタンスも全部アウトソーシングできるよね。」と、エッセイ成分が7割・実用書成分が3割といった雰囲気の文章が並んでいた。

強く引き込まれた。

当時の私は(まあ今もだけど)どう生きるのかに悩んでいて、将来に明確なイメージがもてなかった。

典型的な「なにかやりたいけど何をしたらいいのかわからなくてエネルギーを持て余している大学生」だったと思う。

だからよくわからん〇〇(詳細は書きたくない。)に引っかかってみたり、学生団体をいろいろと調べてみたりしていた。

結果的に言えば私は学生団体のようないわゆるキラキラした団体には馴染めず、一人で勝手にいろいろとやっている方が向いているとわかった。

話を戻すと、この本は自分が一番衝撃を受けた本だと言える。

将来的に好きな時に引っ越せる暮らしがしたい

自分自身の感覚的に私は”社会適合者”なので、普通に就職して働くこともできるだろう。

いままで、一般的な社会規範に適応できなかった経験は特になかったように記憶している。

phaさんやえらいてんちょうのように学校・職場にいくことが苦痛で仕方ないタイプ、いわゆる”社会不適合者”ではない。

(ここでの社会適合者、不適合者という表現は悪意を持って書いているのではないと明記しておく。)

一方で、人の性質はグラデーションであり一面だけで語ることはできない。

最近、私の中の社会不適合の部分が少し強くなってきたように感じる。

今までは普通にできていたアルバイトが苦痛で仕方なくなってきた。

phaさんの文章にちょうどいい箇所があった。

お金を得る為には魂を売り飛ばさなければならないのだろうか、

“ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法”(pha 著)

まさにお金と引き換えに自分の精神力を削っている気がする。今まではなんとも思わずできていたのに。

phaさんの本に出会ってから時間がたち私だってそれなりに出会いや経験を得た。

物理的な意味でも比喩的な意味でも、一箇所に留まらず生きている人に会った。

魂を売り飛ばすのではなく、魂を燃やしている人に出会った。

「自分もそうなれるのではないか?」

そう考える自分がいる。

ここ最近で私はブログで多少なりともお金を稼げるようになり、イベントを開けば「来てよかった!」「また行きたい!」と言ってもらえている。

それはとても嬉しいことだ。

どうにかなる気がする

私はその時々の自分がやりたいことをやっていれば、自分が求めるものに近づけるのではないかと思うのだ。

なんとなくで続けていたらひょんなことから、物事が転がり出して気がつけば大きくなっていたという話を聞く。

実際、過去に特に意味もなくノリで京都から歩いて東京に行ったことがあるのだが、その時の出会いがなければブログも書いていないしイベントもやっていなかった。

この文章は東京行きの新幹線の車内で書いているのだが、もし2年前の春に自分がなにもしていなかったらこの文章を書いていないのだな、と当時歩いた道のりを車窓から眺めている。

正直言って焦りや嫉妬の感情がかなりある。一度スマホでネットの海を眺めれば、はるか先で活躍するキラキラした同年代が映る。

自分は今までなにをやってきたのだろうか、とあまりの差に愕然する。

そのことから意図的に目をそらし続ける自分を受け入れられない。

それでも、目の前のやりたいことをやっていたらどうにかなると思える。

そう思えるのは、自分が一人でやってきたことでも周りの人たちが知らないうちに評価してくれていると知ったからだ。

意思さえあれば、どうにかなる気がするのだ。

それなりに結論めいた話に落ち着けることができたので、ここまでにしたい。

久しぶりに心のままに文章を書けた時間だった。

良い週末を。

<出てきた本>

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