「中田先生、なぜ人を殺してはいけないのですか?」
「人を殺してはいけない根拠などありません」
久々に表紙からぶっ飛んだ本に出会った。
筆者の中田孝先生は東大卒、現職は同志社大学客員教授のイスラーム法の学者だ。
この本は悩める中高生によくある悩みを、ある意味「非常識」な方法で回答していく本である。
えらてんさんが紹介した「13歳からの世界征服 / 中田考」を読んだ
— てばさき/広大生ブロガー (@teba_tabi_log) October 28, 2019
いじめっ子を殺したい→「本当に」やりたいならやれ
勉強したくない→しなくても死なない
夢が無い→世界征服を目標にしなさい
終始身も蓋もない悩み相談が展開される
綺麗事のアドバイスに飽きた貴方へhttps://t.co/WuqR0lSjwt pic.twitter.com/zwf3bRDRIY
人は根拠のない「常識」に縛られている
人々、中でも特に思春期の学生は悩み事が多い。
- 自分には価値がない
- 勉強についていけない
- 友達が少ない
- 恋人ができない
あなたなら、こんな相談をされたらどう答えるだろうか?
おそらくネットで転がっている「常識的」な回答はこんなものだと思う。
- 生きてるだけで素晴らしいことだよ!
- もっと頑張って勉強しなよ!
- 自分から話しかけてみよう!
- あなたのことを好きになってくれる人もきっといるよ!
一方で中田孝さんの「非常識」な回答はこれだ。
- 人間に価値などない。バカの価値は若さだけ。
- 勉強できずとも日本では死なない。
- みんなと仲良くしなければならない根拠などない。
- いろんな人に婚姻届を渡せ
どの相談の回答も、元も子もないといったアドバイスばかりだ。というよりもはやアドバイスになっていないものも多い。
例えば彼女を作りたいなら婚姻届を渡せばいい、に関しては流石にどうかと思うが、本文を読めば筋は通っている。(私はモテる為には筋トレをおすすめするが。)
常識とは、誰かの決めた根拠のない思い込みでしかない。
”唯一の絶対の神がいて、善悪を判断できるのはその神だけだと考えます。その神の教えに従うことは信者の義務ですが、人間が作りだした倫理や道徳や常識にはなんら根拠がないし、従う義務もありません。 過激に聞こえますが、要するに私たちが無意識に前提にしているもの、たとえば「国家」とか「学校」とか「教育」とか「民主主義」といったものにはすべて根拠がないということです。「小高い丘」はまだ常識や思い込みの前提に縛られています。そういう前提を徹底的に外した成層圏のような場所から、ものを見たり考えたりしようということです。”
13歳からの世界征服
中田考
「13歳からの世界征服」は特に優等生に読んで欲しい本だと思った。
私はそれなりに小中高と優等生として過ごしてきたつもりだ。
「学校にはちゃんと行かないといけない」「成績はよくしないといけない」「友達は多くないといけない」「先生の言うことは正しい」「部活を途中で辞めるのは悪いことだ」「将来の夢は・・・
別にその生活を後悔しているわけではないし、とても楽しい生活だった。
それでもそれなりに、周囲かからの「あなたは優等生なんだから○○じゃないといけない」という圧力に息苦しさを感じる時があった。
世の中にはもっとその圧力が強く、生きづらさを感じている人も多いだろう。
この本はなんども繰り返すように「非常識」だ。だからこそある気付きをくれた。
その常識はだれが決めたものなのか?
その常識に根拠はあるのか?
勉強を一つ例にとったとして、親や先生は「勉強しないと将来困るよ!」「勉強していい大学にいけば、幸せになれるよ!」と言う。実際私も言われた。
「非常識」で極端な視点から見れば、これは根拠のない「常識」でしかない。
日本において、餓死することは極めて難しい。生活保護もあれば、ドヤ街にいって日雇い労働もできる。別に学校に行かなくたって死ぬことはない。
よく言われるように、現在の学校教育は明治時代に制定された「クソ真面目に毎日出社して、働いて、ご飯を食べ、寝て、翌日また出社する」人間を大量に作るための制度だ。
憲法には学校には学校は義務だと書いてあるが、これも人を殺してはいけないことに根拠がないのと同様に究極的には根拠などない。
実際問題として「じゃあこれからお前は勉強しないのか?」と問われれば、答えは「勉強する。」
「常識」にしたがって、大学に行き、クソ真面目に就活をするつもりだ。
なぜなら世間一般に言われる「常識」は「非常識」より「世間的な常識における幸せ」の成功確率が高いからだ。
私はいい生活をしたいと思っているし、現状それが実現できる可能性もそれなりに持った環境にいる。
冒頭の「なぜ人を殺してはいけないのか?」に関して、
“神を信じていない最大のメリットは「何をやってもいい」ということです。せっかくイスラーム教徒ではないのだから、好きなことをすればいい。あなたはすべて自由です。自由なんだけれども、自由に行ったことの結果はすべて自分に還ってくる。そのすべての責任は自分でとりなさい、ということです。”
13歳からの世界征服
中田考
優等生のくだりを通して私が言いたいのはこういうことだ。
「なにをやってもいい」と心の片隅にでも思うことができたならば、生きにくい世の中でも多少生きやすくなる。
できるけど(理性的な損得を計算した結果)やらないと決めるのと、できないのは表面上同じだが根本的に違う。
「なにをやってもいい」と思うことで、人生の選択肢は格段に広がる。
生きにくい、住みにくい、と言えば夏目漱石は『草枕』にてこう記した。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。(中略)越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
草枕 夏目漱石
「常識」の世の中では、中田考先生の人生相談をそのまま実行するのは難しい。
それでも、あなたがこの世の中を生きやすく、住みやすくしたいのならそれはあなたの行動次第だ。
すべてを世界征服と結び付けよう
中田考先生は「夢も目標もどうやって持てばいいのかわからない。」という相談に、世界征服を夢にすることを勧めている。
“すべてを世界征服と結びつける
たとえば、あなたがいじめられているとしたら、そのいじめているやつらを何とかするのが世界征服へのステップになります。そいつらは「世界征服」という我が目標の前に立ちはだかる障害なのだ、と考えるのです。 単にいじめから逃げたいと思っていたときと、自分の行動のはるか先に「世界征服」という目標があり、その前にいじめっ子が立ちはだかっていると考えるのとでは、取り組み方や意気込みがまったく変わってきます。
(中略)
大事なことは、自分の人生を物語にしてしまうことです。それも「お金持ちになる」とか「いい会社に入る」とか、そういうつまらない物語ではなくて、「世界征服」という壮大な物語の中に自分を位置づけるんです。視野を広く持てば、小さな悩みはどうでもよくなります。“
13歳からの世界征服
中田考
あなたは世界征服という野望を達成するために、身の回りの全てを活用するようになる。あなたはこの世界というステージで、世界の仕組みを知り、仲間を見つけて「敵」や「正義の味方」と戦うことになる。
“世界征服は、「私」がやるものなんです。でも、世界平和だと私がやるものじゃないでしょう。
(中略)
平和であるためには、悪いやつやダメなやつを無理やり抑え込んだり、互いに我慢し合ったりしていくしかない。世界平和というのは、「誰かにとっての世界」の平和でしかない。自分が主体的に世界平和を実現しようとして敵と闘い、相手の世界平和を否定する。そうやって自分にとっての平和が達成される。そういうものです。”
13歳からの世界征服
中田考
あなたが目指すのは誰かが作った誰かにとっての世界平和ではない。あなたが作るのはあなたにとっての世界平和だ。
それはすなわち世界をあなたが征服すること。
「常識」を疑ってみること。「住みやすい世」を作ること。「主体的」に生きること。
さあ、世界を征服しよう。
(広告の有無を選べます。少々高くなりますが、真剣に読書をしたいならかならず広告なしver.にしましょう。ストレージは8GBで十分。4Gもべつに必要ありません。)